ばんばんざい・流那が“妊娠&卒業”を発表「本当におめでとう!」「でも卒業は寂しい…」など話題に<コメント全文>

LuaaZに所属し、3人で活動する日本の人気YouTuberグループ・ばんばんざいの森元流那が、12月18日に自身のInstagramを更新。エコー写真と、自身の思いを綴った文章が書かれているスクリーンショットを投稿し、その中で妊娠と“ばんばんざい”からの卒業を発表した ■ばんばんざい・るな、妊娠&卒業を自身のInstagram投稿で発表 この日、流那は「ご報告があります」とコメントを添えて、エコー写真と自身の思いを綴った文章が書かれているスクリーンショットを投稿した。 この投稿を見たファンからは「ご懐妊おめでとう!!」「ずっとお母さんになるのが夢って言ってたからかなって本当に嬉しい!」「今までいっぱい幸せにしてくれてありがとう!!」「正直卒業は寂しいけど、流那ちゃんの夢が叶えられてめっちゃうれしい」「いつかまた3人でいる姿をたまにでいいから見たい気持ちを諦められない…」など、2つの大きな発表に対して様々な思いやコメントが数多く寄せられた。 ■【コメント全文】ばんばんざい・流那が自身のInstagram投稿 ご報告があります。この度新しい命を授かりました。 私は小さい頃からずっと、お母さんになるのが夢でお仕事も働いていた理由もお母さんになり将来子供からもかっこいいと思われたいとずっと思いながら、今まで頑張ってきました。そんな私にとって赤ちゃんがお腹にいるということは人生で何よりも嬉しい出来事です。 まずはこの子を健康に産むことが第一優先だと考えており、今はそちらに精一杯向き合っていきたいと思います。 私は今日初めて打ち明けますが、子宮がん家系でもあり私自身も一昨年、子宮関連の病気で手術をしていました。実はその時に「普通の方より妊娠をしにくい」と言われ、『お母さんになりたい。家族を作りたい。』という夢があった私はその当時凄く悲しかったです。 でも今の旦那さんと一緒になって、やはり子供は諦めたくないと思い、今までにあったことを打ち明け、子供を作る希望を持てることはこんなにも幸せなのかと感じました。そして今お腹にいる子が私の元へ来てくれて、妊娠がわかった時すぐにお母さんに電話して、喜んだのを覚えています。旦那さんもとても喜んでくれてました。 妊娠と同時にもう一つ、私はばんばんざいを卒業することに決めました。今回の妊娠と同時に卒業の報告をさせていただき、どちらも急な発表でびっくりさせてしまいすみません。 なぜばんばんざいを卒業するという決断になったかというと、妊娠をしてから想像以上に自分自身の体調の変化があったことが大きな理由です。これまでは自分だけの身体でしたが、今はもう一つの命を育てる大切な場所だと考えると、私だけの身体ではなくなります。 ぎしくんみゆちゃんは私に寄り添ってくれて「来れるときに撮影に参加してくれたらいいよ!」とサポートしてくれていました。 しかし撮影に参加できない日が連日続き、「妊娠」という初めての経験でどういう行動が自分にとって正解なのかもわからず、「お仕事も行きたい。けど、つわりが酷すぎる。」そんな毎日に悩まされていました。 おそらく産後も今までやってきた通りのばんばんざいの企画、撮影、スケジュールに万全の状態で臨めるかというとそれは自分の中で難しいと感じたため、今後も人生を「ばんばんざい」と「育児」曖昧な形で両立するよりはけじめとしてこのタイミングでばんばんざいを卒業し『お母さん』を頑張ってみたいと思いました。 ここ数か月体調不良でお休みをもらっていたのも。つわりが原因でした。毎日動かしていたSNS も動かせないぐらいつわりが想像以上に重く、現在もまだ安定期に入っていません。 個人的に何も伝えないまま体調不良と言い続けてお休みするのも応援してくださっているファンの方に嘘をついている様で嫌だなという思いが強く、今回は安定期になる前に報告をするという決断をさせていただきました。 安定期前での発表は、流産というリスクもある中で様々な方々の意見もあると思いますが、私自身ファンの方に対して誤魔化し続けることが心苦しくてできませんでした。この度のお休みで心配をかけてしまい本当にごめんなさい。 ばんばんざいを卒業するということ自体にすごく迷いもあり人生の中でとても大きな選択だったと私は思います。メンバーを含め今までお世話になった方々には本当に感謝を忘れません。今回卒業という形をとらせていただく中、ぎしくんみゆちゃんも背中を押してくれたお陰で私は卒業をすることができています。…

安藤優子、中山美穂さんは「繊細ですごく人に気を遣われる方」 長く交友関係「もう一回大きな花を咲かせようとしていた矢先」と悔やむ

キャスターの安藤優子が、22日に放送されたフジテレビ系「ワイドナSHOW」に出演し、今月6日に亡くなった女優の中山美穂さんについて語りました。享年54歳であった中山さんとの長い交友関係を明かし、安藤は「ひょんなことから個人的に知り合っていた」と述べました。彼女は元夫の辻仁成とも若い頃からの知り合いであり、三人の長い関係があったことも触れました。 安藤は、中山さんの人柄について「ものすごく繊細で、すごく人に気を遣われる方」と評し、その美しさだけでなく、その内面の優しさにも感銘を受けていたことを明かしました。彼女は「繊細さとともにその素顔を見せてくれた」と語り、中山さんの思いやり深い性格を強調しました。 さらに、安藤は「もう一回大きな花を咲かせようとしていた矢先だったので、私もすごくショックで残念です」とコメント。中山さんがその才能をさらに発揮しようと努力していた矢先に、早すぎる死を遂げたことに対する悔しさを表明しました。 中山美穂さんは、数多くの映画やドラマでその才能を発揮し、多くのファンに愛されてきました。安藤の感情豊かな言葉は、彼女の死が多くの人々にとってどれほど大きな損失であるかを物語っています。中山さんの思い出は、彼女の作品を通じて永遠に生き続けることでしょう。

「長男は毎晩ぬいぐるみを涙で濡らし…」急逝の中山美穂さん、辻仁成氏との離婚で“母子断絶10年” 残された遺産の行方

12月6日に54歳の若さで亡くなった歌手で女優の中山美穂さん。アイドルとして昭和末期を駆け抜け、“ミポリン”の愛称で呼ばれた彼女がこの10年、ずっと想い続けていたのが一人息子の存在だった。 2002年に芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚した中山さんは、2004年に長男を出産。2014年の離婚以降、長男と会うことは叶わなかった。しかし、葬儀を終えた中山さんの妹で女優の中山忍(51)は以下のようにコメントした。 《何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間を持たせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした》 中山さんの訃報後、20歳となった長男はパリから駆け付け、亡き母と10年ぶりの再会を果たしていた。なぜ、母と子の再会に10年という長い時が経ってしまったのか。 「中山さんは辻さんと結婚後、フランス・パリに移住しました。しかし、離婚協議中の2014年5月に音楽家の渋谷慶一郎氏との密会が報じられました。彼女はのちに“親権を譲ることが離婚の条件だった”と明かしていますが、一部からは『自分勝手』『恋愛依存体質』などと彼女の選択に批判的な声が上がりました。“家庭を捨てた母”というイメージが残り、芸能活動に支障もあったようです」(スポーツ紙記者) 2014年7月に離婚が成立し、親権を取った辻氏は離婚当時の心境を自身のブログでこう綴っている。 《ぼくは幼い息子の手を引いて、とにかく、世界中を旅しました。そうすることで、強くなれる、としんじていたようなところがあります。離婚の直後、味方は少なかった。だから、父子のきずなを強くしないとならなかったのです。ある種残酷な世界で生きてきたので、守らないと壊れてしまいそうだったから…》 「辻さんは中山さんの不倫が報じられると、10歳だった息子さんがそういった情報に触れないように苦労したそうです。息子さんの中にある“母・中山美穂”への想いを守りたかったのでしょう。離婚を機に10歳で突然、母がいなくなった息子さんは、毎晩抱きながらテディベアのぬいぐるみを涙で濡らす日々でした。 そんな育ち盛りの息子のために、辻さんは毎朝5時半に起床してお弁当を作り続けたそうです」(芸能プロ関係者) 辻氏のブログによると、中山さんの息子は現在、身長175センチで中学と高校時代はバレーボールの大会でメダルを獲るほどのスポーツマンに成長。大学に進学した彼は「目は父親似」だという。 遺産は息子に引き継がれるか 一方、離婚後、独身生活を送っていた中山さんは、自身のバンドメンバーで9歳年下のベーシスト・永田雄樹氏と交際していたが、いつの日も息子のことを気に掛けてきた。 《次にいつ息子と会えるかは父親の判断なのですが、いつもいつも愛していることは伝えているし、できるだけそばにいることも伝えています。私にできることは限られているかもしれない。でも、できることは本当にすべてしてあげたいと思っています》(『Numero TOKYO』2015年1・2月合併号) 関係者は、中山さんには歌唱印税などの遺産が生じる可能性があると指摘する。 「1992年にリリースされ、200万枚超えるヒットとなったWANDSとのコラボ曲『世界中の誰よりきっと』の作詞は上杉昇さんと中山さんの共同名義です。彼女は1993年のNHK連続テレビ小説『ええにょぼ』の主題歌『幸せになるために』も共同で作詞を手掛けています。 また浜田雅功さんと共演した1994年のドラマ『もしも願いが叶うなら』(TBS系)の『ただ泣きたくなるの』作詞も連名で携わっています。約40年にわたる芸能活動の中で、彼女は数多くのヒット曲を歌い、20曲以上の作詞などを担当しました。それらの印税は長男にも相続する権利があるそうです」(同前 残された遺産は愛する息子への愛の証なのかもしれない。