新たなロマンスが世に出てまもなくの急逝だった──。12月6日、歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)が自宅で亡くなっているところが発見された。所属事務所は、「入浴中の不慮の事故」と死因を説明している。 『サンケイスポーツ』は今年の元日、中山さんとクラブジャズバンド「JABBERLOOP(ジャバループ)」などで活動するベーシスト・永田雄樹(45)さんの交際を報じた。永田さんは、数年前から中山さんのバンドのバンドマスターとして、コンサートやファンクラブイベントなどに帯同してきた。 「もともと中山さんが『JABBERLOOP』のファンで、共通の知人を介して交流が始まり、音楽活動の中で距離を縮めていったようです。永田さんは派手な緑色のロン毛とワイルドなビジュアルで、いかにもミュージシャンという個性的な佇まいの方です。 ちょっと強面な雰囲気ですが、真摯に音楽に向き合っており、ベースの話題となるとどこまでも語ってくれます」(音楽業界の関係者) 永田さんは12月1日、中山さんのコンサートツアーの初日を無事終えたことをInstagramで報告し、〈次は12/6、ビルボード大阪!〉と意気込んでいた。まさか中山さんが急逝し大阪公演が中止になるとは、このとき全く想像していなかっただろう。中山さんが亡くなった12月6日、前日出演したライブについて報告したのを最後に、永田さんのSNSは更新がストップ。沈黙を守り続けている。
12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。所属事務所は死因について「入浴中の不慮の事故」と伝えている。 “ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんは1970年3月、長野県の自然豊かな町で生まれた。 両親は中山さんが3歳のときに離婚。それ以降、中山さんは母子家庭で育ち、親戚の自宅で過ごすことが多かったという。ところが、そんな彼女に大きな転機が訪れる。広く知られているように、母親が秋田県出身の男性と再婚したのである。激動の幼少期を過ごしながらも、中山さんが親を恨むようなことはなかったようだ。 両親が創業したレストラン「今もファンレターが…」 所属事務所『ビッグアップル』の創業者・山中則男氏も、かつて夕刊紙の取材に「(中山さんは)オーディションには何度も落ちまくっていました。それでも本人が決してデビューを諦めなかったのは、“お父さん、お母さんに立派な家を建ててあげたい”という明確な目標があったからでした」と、その親孝行ぶりを明かしている。 実際にデビューからしばらく経ったあと、中山さんは両親のために都内に家を購入。さらに2000年7月には義父ゆかりの地である秋田県横手市内に、ふたりが創作レストランを開業する機会を設けた。子育てが落ち着いた母親と義父はレストランの経営に携わり、中山さん本人もお忍びで通っていたようだ。店の現オーナーであるAさんを知る関係者がこう語った。
12月6日に54歳の若さで亡くなった歌手で女優の中山美穂さん。アイドルとして昭和末期を駆け抜け、“ミポリン”の愛称で呼ばれた彼女がこの10年、ずっと想い続けていたのが一人息子の存在だった。 2002年に芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚した中山さんは、2004年に長男を出産。2014年の離婚以降、長男と会うことは叶わなかった。しかし、葬儀を終えた中山さんの妹で女優の中山忍(51)は以下のようにコメントした。 《何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間を持たせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした》 中山さんの訃報後、20歳となった長男はパリから駆け付け、亡き母と10年ぶりの再会を果たしていた。なぜ、母と子の再会に10年という長い時が経ってしまったのか。 「中山さんは辻さんと結婚後、フランス・パリに移住しました。しかし、離婚協議中の2014年5月に音楽家の渋谷慶一郎氏との密会が報じられました。彼女はのちに“親権を譲ることが離婚の条件だった”と明かしていますが、一部からは『自分勝手』『恋愛依存体質』などと彼女の選択に批判的な声が上がりました。“家庭を捨てた母”というイメージが残り、芸能活動に支障もあったようです」(スポーツ紙記者)